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入団拒否率にみるプロ野球(File4:ジャイアンツ編)


本稿はドラフト指名に対する入団拒否をメインテーマにしてプロ野球を分析している。4回目にあたる今回は、セ・リーグの前年度2位、読売ジャイアンツについて書こう。


なお、記事が公開された段階ですでに2016年度のドラフト会議は終わっているが、ベースとなる情報は2015年までのものを使用している。2016年のドラフト指名が拒否されたかどうかが最終的に確定するのは2017年の秋であるから、それまでには全12球団と近鉄についての記事を公開したい。
※月2回更新のため公開までタイムラグがあるが、この記事が書かれたのは2016年6月である。

目次

▲PAGE TOP
かなり長い記事になったので、まず目次を置く。

 ・指名/拒否のリスト
 ・育成選手
 ・データの比較・分析
 ・主な入団拒否者についての解説 ・最後に
 ・次回予告

指名/拒否のリスト

▲INDEX
最初に「指名/拒否」のリストを示す。

なお、読売ジャイアンツは1934年に創設された大日本東京野球倶楽部に起源を有する日本で最も歴史の長い球団である。古くから球界屈指の人気球団であることもあって経営は比較的安定しており、その球団名も1965年以前から変更されていない。

下記のリストは、Wikipediaの各年のドラフトの記事をまとめて作成されたものである。また、各選手の名前は例によりWikipediaへのリンクになっている。該当する選手の記事がWikipedia側に作成されていれば別タブで詳細な記事を読めるだろう。

西暦1位指名2位指名3位指名4位指名5位指名6位指名7位指名8位指名9位指名10位以下
1965堀内恒夫林千代作江藤省三広瀬邦敏才所俊郎宇佐美敏西山敏明深津修司
1966(一次)山下司荒木清志神部年男真鍋安政中村国昭
1966(二次)槌田誠深沢修一上垣内誠三浦健二高畠導宏
1967高田繁山内新一大隅正人山田直政板東順司菅田秀高沢田止男小田芳男小平誠司
展開する
1968島野修田中章矢部祐一吉村典男松本正幸杉山茂大下正忠池島和彦梅田邦三富田清吾
1969小坂敏彦阿野鉱二萩原康弘大竹憲治佐藤政夫河埜和正楠城徹柴崎孝夫今久留主
展開する
1970湯口敏彦大北敏博淡口憲治樋沢良信森下敏秀高橋英二魚満芳
1971横山忠夫谷山高明庄司智久尾形正巳山本昌樹小林繁玉井信博板東陽司
1972中井康之西村高司山本和雄原田俊治福島知春恒村勝美小川邦和樋江井忠斎藤啓治山本昌樹
1973小林秀一黒坂幸夫中村裕二迫丸金次尾西和夫新谷祐二金島正彦
1974定岡正二中山俊之倉骨道広塩月勝義大本則夫岡昭彦
1975篠塚利夫岡田忠雄中畑清猪口明宏山本功児柿木孝哉
1976藤城和明赤嶺賢勇角三男吉沢克美松本匡史笠間雄二
1977山倉和博木下透曽田康二鈴木伸良鈴木康友島本啓次
1978
1979林泰宏山崎章弘岡崎郁上野敬三
1980原辰徳駒田徳広小原正行瀬戸山満
1981槙原寛己山本幸二吉村禎章橋本敬司村田真一仁村薫
1982斎藤雅樹岡本光石井雅博川相昌弘中島浩人藤本茂喜
1983水野雄仁香田勲男林哲雄加茂川重福島敬光上福元勤
1984上田和明藤岡寛生宮本和知佐藤洋井上真二藤本健治
1985桑田真澄広田浩章渡辺政仁本原正治福王昭仁杉浦守
1986木田優夫水沢薫高田誠樽見金典勝呂博憲緒方耕一
1987橋本清後藤孝次磯貝公伸小沢浩一益田明典杉山直樹
1988吉田修司松谷竜二佐川潔四條稔前田隆高梨芳昌
1989大森剛川辺忠義吉岡雄二佐久間浩鈴木望浅野智治
1990元木大介吉原孝介藤崎靖彦阿部茂樹原正俊内田大孝
1991谷口功一小原沢重松岡正樹伊藤博康三好正晴羽根川竜
1992松井秀喜門奈哲寛西山一宇木村龍治村田善則
1993三野勝大柳沢裕一岡島秀樹大畑裕勝佐藤誠
1994河原純一織田淳哉福井敬治斉藤宜之高村良嘉
1995原俊介仁志敏久清水隆行大場豊千大野倫小林聡
1996入来祐作小野仁三澤興一鈴木尚広宇野正美堀田一郎
1997高橋由伸川中基嗣山田真介小田幸平田中健太中村善之吉村将生平松一宏
1998上原浩治二岡智宏加藤健安原政俊酒井純也玉峰伸典進藤実高野忍
1999高橋尚成谷浩弥佐藤宏志内薗直樹條辺剛十川孝富宮崎一彰
2000阿部慎之上野裕平三浦貴根市寛貴川本大輔山下浩宜小野剛李景一
2001真田裕貴鴨志田貴石川雅実十川雄二大須賀允林昌範
2002木佐貫洋 久保裕也 長田昌浩山本光将矢野謙次入野久彦横川雄介
2003内海哲也 西村健太平岡政樹岩舘学山本賢寿佐藤弘祐南和彰
2004野間口貴 三木均 亀井義行木村正太星孝典東野峻
2005(社)福田聡志 栂野雅史越智大祐脇谷亮太深田拓也会田有志梅田浩
2005(高)辻内崇伸加登脇卓福井優也
2006(社)金刃憲人 上野貴久円谷英俊深沢和帆寺内崇幸深町亮介
2006(高)坂本勇人田中大二伊集院峰
2007(社)村田透古川祐樹加治前竜
2007(高)藤村大介中井大介竹嶋祐貴
2008大田泰示宮本武文齋藤圭祐橋本到笠原将生仲澤広基
2009長野久義鬼屋敷正土本恭平市川友也小野淳平
2010澤村拓一宮國椋丞田中太一小山雄輝
2011松本竜也今村信貴一岡竜司高木京介高橋洸江柄子裕田原誠次
2012菅野智之大累進辻東倫公文克彦坂口真規
2013小林誠司和田恋田口麗斗奥村展征平良拳太
2014岡本和真戸根千明高木勇人田中大輝
2015桜井俊貴重信慎之與那原大宇佐見真山本泰寛巽大介中川皓太松崎啄也

なお、ドラフト制度の最初期においては、指名した選手の交渉権を球団の側から放棄する事例も稀にみられたらしい。しかし、これは入団を拒否されたためになされた交渉権放棄と判別が困難であるため、やはり入団拒否として扱っている。
※たとえば2014年に中日は育成1位指名の佐藤雄偉知選手の交渉権を放棄したが、これは「入団拒否の結果として交渉権を放棄」したケースである。
 参考記事: なぜ…中日 育成ドラ1の交渉権を放棄(Sponichi Annex)


凡例は以下のとおり。
凡例
白色指名に応じ入団した選手下線逆指名による入団選手
淡黄色シーズン後に入団した選手灰色 入団を拒否した選手

巨人軍といえば、今でこそスター選手がこぞって入団を希望する人気球団であるようなイメージがある。しかし、ドラフト制度の開始当初は他の球団と同じく入団拒否が多かった。もちろん巨人という球団のブランド化がまだそれほど進んでいなかったこともあるが、王選手や長島選手の活躍によって野球人気が高まる以前の時代には、そもそも野球選手という職業自体がそれほど高いステータスを持っていなかったためでもあろう。
Wikipedia記事へのリンク:王貞治 長嶋茂雄

育成選手

▲INDEX
次に育成指名のリストを示す。

西暦1位指名2位指名3位指名4位指名5位指名6位指名7位指名8位指名9位指名10位以下
2005山口鉄也
2006鈴木誠下山学松本哲也隠善智也芦沢明作田啓一大抜亮祐
2007籾山幸徳西村優希谷内田敦
2008杉山晃紀尾藤竜一山本和作福元淳史
2009星野真澄河野元貴陽川尚将大立恭平神田直輝
2010和田凌太岸敬祐福泉敬大荻野貴幸財前貴男成瀬功亮川口寛人丸毛謙一
2011森和樹土田瑞起柴田章吾芳川庸雨宮敬渡辺貴洋
2012田原啓吾松冨倫
2013青山誠長江翔太北之園隆
2014篠原慎平川相拓也田中貴也高橋慎之
2015増田大輝小林大誠松澤裕介田島洸成大竹秀義山下篤郎矢島陽平長谷川潤

これまで巨人軍は2名の育成選手に入団を拒否されており、これは12球団中最大である。これはそもそも他の球団に比べ育成指名を受ける選手の数が51名と格段に多いことによるものであろう。

育成選手の指名数(2015年までの累計)
巨人   51横浜   14ロッテ   20福岡   42
中日18広島16オリックス8日本ハム0
阪神10ヤクルト12楽天14西武3

データの比較・分析

▲INDEX
これまでドラフト会議で巨人軍に指名された選手の数は育成選手を含めて391人。そのうち入団拒否は36名だった。入団拒否率は9.21%で、これは新設された楽天を除く11球団のなかで最も少ない比率である。ドラフト制度の開始当初こそ入団拒否者の数はやや多めだったが、それでもやはり巨人軍の「ブランド」には一定の価値があったということができよう。

ドラフト指名におけるチーム別入団拒否率(2015年まで)          
チーム名指名数拒否数拒否率順位
巨人391369.21%11
中日365359.59%10
阪神3414412.90%5
横浜3504212.00%6
広島3543911.02%9
ヤクルト3655615.34%3
福岡3714311.59%8
日本ハム3554211.83%7
西武3565415.17%2
ロッテ3655916.16%1
オリックス3444914.24%4
近鉄2655119.25%
楽天9400.00%

なお球団史上もっとも拒否率が高かったのは60%を記録した1966年だった。

※入団拒否率の推移:
※画像をクリックすると表の全体を表示する。

参考としてグラフも以下に示す。


なお、翌シーズン後などに遅れて入団した選手(小林繁、玉井信博、角三男、橋本敬司、中島浩人、勝呂博憲)は例により拒否者に算入していない。

主な入団拒否者についての解説

▲INDEX
以下の項目では、ジャイアンツへの入団を拒否した主な選手につき、その後の活躍の概略を示す。
また特記すべき事項については私見により多少の解説を加える。

西山敏明

▲INDEX
1965年に読売の7位指名を拒否した外野手。1967年に広島にドラフト外で指名されたときは駒沢大を中退してまで入団している。広島と同じ中国地方の岡山出身であったということもあろうが、この当時は「天下の巨人」もまだまだブランド化されていなかったということでもあろう。
Wikipedia記事へのリンク:西山敏明

西山選手は一軍で一度も安打を打つことができずに引退した。1969年に浴びた死球が唯一の出塁だった。

神部年男

▲INDEX
左投・左打の投手。1966年の第一次ドラフトで読売の3位指名を受けるが入団を拒否。1969年に近鉄の2位指名を受けて入団した。やはり出身地が近鉄の地元に近い兵庫であることが大きかったのかも知れない。
Wikipedia記事へのリンク:神部年男

低迷期の近鉄においてローテーションに定着した神部選手は、ヤクルト時代も含めて通算で90勝89敗の戦績を残した。通算防御率は3.15とかなり優秀な値であり、もし読売に入団していても相当な結果を残していただろう。

特に1974年の巨人は中日に「ゼロゲーム差」で破れ優勝を逃したが、この年、神部氏はパリーグで防御率2.38を記録し、4完封を含む12勝をあげている。もし神部投手が入団していれば、あるいは巨人軍はv10を達成していたかもしれない。
Wikipedia記事へのリンク:1974年の野球

中村国昭

▲INDEX
1966年に読売の5位指名を拒否した内野手。1970年にドラフト外でヤクルトに入団し、新人選手ながら開幕試合にもスターティングメンバーとして出場した。
Wikipedia記事へのリンク:中村国昭

通算で368安打。打率.228。おそらく選手層の厚い巨人ではほとんど出場できなかっただろう。巨人への入団を拒否した判断はあるいは正しかったのかもしれない。

上垣内誠

▲INDEX
広島市出身の選手。1966年の2次ドラフトで読売ジャイアンツの3位指名を受けた際は入団を拒否したが、1969年に広島の3位指名を受けたときは入団した。やはり地元球団への愛着が大きかったのだろうか。
Wikipedia記事へのリンク:上垣内誠

累計安打数は328。通算打率は.233。選手層の厚い巨人に入団していたら、やはりほとんど出場の機会はなかったのではないかと思われる。

高畠導宏

▲INDEX
1966年の2次ドラフトで読売の5位指名を拒否した選手。左投・左打の外野手だった。
Wikipedia記事へのリンク:高畠導宏

高畠選手は1967年に南海の5位指名を受けて入団したが、直後の春季キャンプで左肩を故障してしまい、その後は後遺症に苦しんだ。それでも1970年、71年には代打の切り札として活躍し、それぞれ打率3割1分に達する好成績を残している。

高畠選手は故障の悪化により1972年に引退したが、5年のプロ生活で99本の通算安打を打ち、通算打率.263を残している。もし巨人に入団していれば怪我をすることもなかっただろう。もしかしたら高田・柴田・末次といったV9時代の名外野手たちと熾烈なポジション争いを繰り広げていたかも知れない。
Wikipedia記事へのリンク:高田繁 柴田勲  V9時代

高畠氏は球界屈指の名打撃コーチとして知られている。1973年に南海の野村兼任監督に抜擢されてから30年にわたり、多くの球団で選手を育ててきた。イチロー選手や、落合選手、小久保選手など、彼の指導を受けた名選手は数多い。
Wikipedia記事へのリンク:野村克也 イチロー 落合博満> 小久保裕紀

子供が好きで、子供に野球を教えるのが好きだったらしい。高畠氏は「高校球児を指導して甲子園を目指したい」という夢を抱き、50代半ばにして教師を志した。コーチ業の合間に勉強し、5年をかけて通信教育で教員免許を取得。58歳のとき念願を叶え九州の福岡県の私立高校に赴任した。

しかし、高校球児を指導するというは夢は叶わなかった。まさに春にも監督に就任しようとしていた矢先に膵臓癌を患っていることが発覚したからだ。高畠氏は2年後に病死。享年は60歳だった。伝説のコーチが球児たちに指導していたら、どんなチームが生まれていたのだろうか? 今となっては知る術はない。

池島和彦

▲INDEX
1968年に読売ジャイアンツの8位指名を拒否した選手。大阪府豊中市の出身であり、1969年に阪神タイガースから7位指名を受けたときは7位で入団している。
Wikipedia記事へのリンク:池島和彦

プロ入り3年目の1972年には51投球回を投げて3勝3敗、防御率2.29の活躍を見せたが、その後はほとんど一軍のマウンドに立つことができなかった。引退は1974年。通算3勝4敗を記録し、通算防御率3.46を残している。

楠城徹

▲INDEX
1969年に読売ジャイアンツの7位指名を拒否した選手。1973年には太平洋クラブライオンズ(現西武ライオンズ)の2位指名を受けて入団した。当時ライオンズが楠城選手の出身地(福岡)に本拠地を置いていたことが大きかったのかもしれない。
Wikipedia記事へのリンク:楠城徹

楠城選手は捕手として入団したが、外野を守ることも多かったらしい。七年の現役で168安打を放ち、通算打率.230を残した。おそらく選手層の厚い巨人ではここまでの活躍はできなかっただろう。

鎌野裕

▲INDEX
1969年のドラフト会議で読売の11位指名を拒否した選手。1971年に東映の6位指名を受け入団したが、一軍のマウンドに立つことはできなかった。ただし1972年に一試合のみダミーとして出場登録されている。
Wikipedia記事へのリンク:鎌野裕

山本昌樹

▲INDEX
巨人の指名を2度拒否した唯一の選手。1971年に巨人の5位指名を拒否して松下電器に入社。翌年再び巨人の10位指名を受けるがやはり拒否。そのままプロ入りしなかった。

樋江井忠臣

▲INDEX
1970年にロッテの一位指名を拒否していた選手。1971年に巨人の8位指名を受けるがやはり拒否し、そのままプロ入りしなかった。

小林秀一

▲INDEX
1973年に巨人の一位指名を拒否した選手。巨人軍の一位指名を拒否した史上唯一の選手でもある。
Wikipedia記事へのリンク:小林秀一

指名を受けた小林選手は入団すべきかかなり迷ったらしい。このとき既に小林選手は熊谷組の内定も得ていた。

当時の巨人の監督は小林と同じく熊本出身の川上監督だった。川上氏は入団交渉の場で「熊谷組は本業の仕事があり野球は二の次だ。しかし巨人は野球の技術を欲しいと思っている」旨を告げて小林選手を説得しようとしたそうだ。しかし、これは逆効果だったらしい。野球を本職にするべきではないと考えていた小林選手は、逆にこの一言で迷いを断ち切り熊谷組に入社したらしい。
Wikipedia記事へのリンク:川上哲治

プロ選手として球史に名前を残すことそなかったが、初志を貫徹したその姿勢にはやはり一種の清々しさが感じられる。自分の思う生き方を貫いた結果であろう。

黒坂幸夫

▲INDEX
1973年にドラフト2位で巨人に指名された左投手。
Wikipedia記事へのリンク:黒坂幸夫

巨人への入団を拒否した後、1976年にドラフト4位でヤクルトに入団したが、大きな活躍はできないまま5年で引退したらしい。通算0勝1敗、防御率5.22という記録が残っている。

中村裕二

▲INDEX
捕手。1973年に巨人の3位指名を拒否して、住友金属に残留した。胃癌により30歳の若さで夭折している。
Wikipedia記事へのリンク:中村裕二

尾西和夫

▲INDEX
1973年に、巨人の5位指名を拒否した選手。その後1975年に近鉄の2位指名を受けて入団した。
Wikipedia記事へのリンク:尾西和夫

近鉄では1976年に9試合に登板したが、その翌年以降は1軍で登板した記録がない。通算0勝0敗。防御率2.12。

ところで1973年の巨人は1位、2位、3位、5位の選手に入団を断られている。そのうえ6位・7位の選手は一軍への出場を果たせなかった。唯一4位指名の迫丸選手のみ一軍戦に出場した記録が残っているが、この選手が巨人に在籍していた2年間で残した成績は、安打1本、打率.083という惨状であった。巨人にとってこの年のドラフトは伝説的な大失敗の年として記憶に残ることになってしまった。

福井優也

▲INDEX
2005年に巨人の指名を拒否した選手。
Wikipedia記事へのリンク:福井優也

巨人のドラフトを拒否した理由については明確になっていない。学校外での「やんちゃ」が原因で球団側から断られたとする証言もあるが、その後1位指名を受けて広島に入団していることから信憑性は薄い。

一説には、2005年に巨人が高卒入団2年目の平岡投手に戦力外通告を出したのが拒否の原因ではないかといわれている。福井選手もまた高卒ドラフトでの最下位指名(4巡目)であり、球団側の評価はあまり高くなかった。これではたとえ入団しても数年で解雇されてしまう可能性が高いため、大学で活躍し評価を高めてから他球団に上位指名してもうほうが得策だと考えたのではないかというのである。
Wikipedia記事へのリンク:平岡政樹

なお広島に入団した福井選手は、これまで5年で23勝26敗の成績を残し、防御率4.22を記録している。それほど目覚しい戦績を残しているわけではないが、去年はキャリアハイの防御率3.56を記録し9勝をあげている。まだまだ今後に期待できる選手であろう。

陽川尚将

▲INDEX
2009年に巨人から育成選手としての3位指名を拒否した選手。
Wikipedia記事へのリンク:陽川尚将

2013年のドラフト会議で阪神の3位指名を受けて入団した。今年(2016年)初めて一軍にも出場した。ただし、今のところ打率.170と渋い成績しか残せていないようだ。

松澤裕介

▲INDEX
松澤選手は2015年に巨人から育成選手として3位の指名を受けるが、左手の怪我を理由に入団を辞退した。この年における唯一の入団拒否者であり、いまのところ全球団で最後の入団拒否者である。
Wikipedia記事へのリンク:松澤裕介

最後に

▲INDEX
王選手・長島選手を擁したV9時代を経て、巨人軍は球界屈指の人気を誇る球団に成長した。去年のホームゲームの観客動員数は全球団中で唯一300万人に達する。これはリーグ平均の1.5倍、最下位であるロッテの2倍以上にあたる数だ。このようなファンの力に支えられていることが、12球団随一といいうる巨人の豊富な資金力の源泉となっているといえよう。
Wikipedia記事へのリンク:王貞治 長嶋茂雄 V9時代

2015年の観客動員数
チーム名累計動員数平均動員数順位
巨人 3,001,187 人42,270 人 1位
阪神 2,878,352 人39,977 人 2位
広島 2,110,266 人29,722 人 4位
中日 2,049,784 人28,469 人 5位
ヤクルト 1,657,511 人23,021 人 9位
DeNA 1,813,800 人25,546 人 7位
ソフトバンク 2,535,877 人35,221 人 3位
日本ハム 1,959,943 人27,221 人 6位
オリックス 1,767,220 人24,890 人 8位
西武 1,616,827 人22,456 人 10位
楽天 1,524,149 人21,467 人 11位
ロッテ 1,322,004 人18,620 人 12位
セ・リーグ 13,510,900 人31,493 人 -
パ・リーグ 10,726,020 人25,002 人 -
合計24,236,920 人28,248 人 -
日本野球機構のホームページから引用。

ドラフト指名の制度は基本的に持たざるもののための制度である。資金力が豊富な球団と、赤字に苦しむ球団が、自由競争のもとに選手を奪いあえば、当然資金力のある球団が有利に選手を獲得できるだろう。ドラフト指名の制度は、このような球団の経済力による有利・不利を是正し、戦力の均衡を図ることを目的として設けられたものだ。

もちろん、「多くのファンに支えられている球団が強くなるのは当たり前じゃないか」という考え方を持つファンもいるだろう。筆者もこうした考え方を全面的に否定するつもりはない。支払った入場料などのお金が少なからず球団の強化に役立っていると思えば、ファンとしてもそれだけ応援のし甲斐があるというものである。

しかしながら、あまりにも自由競争が行き過ぎると、それによる弊害も生じてくる。豊かな資金力ゆえにスター選手を獲得できた球団にはますます人気が集まるが、乏しい資金力ゆえに獲得できなかった球団は人気を失いますます経営が苦しくなるからだ。このように強者はますます肥え太り、弱者はますます衰える状態が続けば、やがて弱小球団が経営を維持していくのは困難になる。

どんなに強い球団であっても1チームだけで試合をすることはできない。弱い球団が潰れてしまえば、それによりリーグそのものが立ちゆかなくなってしまう。これはまさに資本主義の矛盾をそのままモデル化したに等しい状態である。強者は弱者なくして強者たり得ないのだ。

このような弊害を防ぐためには、資金の乏しい側の球団にもある程度の配慮を与える必要がある。球団の資金力に応じて強化費用などに差がつくのはやむをえないことだとしても、せめて新選手の獲得に向かうスタートラインぐらいは公平にするべきではないか。これがドラフト指名制度の理念である。

このようにドラフト指名の制度は、ある意味で社会主義的な弱者保護のための制度に似たところがある。だから当然、巨人のように豊富な資金力を持つ球団にとっては、この制度がどうしても邪魔な存在に見えてしまうらしい。現に巨人軍の親会社である読売新聞社は、しばしば選手の人権まで持ち出してドラフト制度を批判してきた。

ただ批判するだけでは飽き足らず、読売はしばしばドラフト制度の根幹を崩そうとするかのよう主張をも行ってきた。その最たるものが江川事件である。この事件については江川氏に指名を拒否されたチームの記事で詳述するつもりだが、一連の騒動で読売が見せていた態度は巨人軍は紳士たれという創立者の理念を根本から破壊するようなものだったことは疑いようもない。
Wikipedia記事へのリンク:江川事件 江川卓 正力松太郎 

2011年に菅野投手の獲得に失敗したとき、巨人軍の球団会長であった渡邉恒雄氏は憲法独占禁止法まで持ちだしてドラフト制度は違法だと主張していた。球団が「なぜ自分から違法な会議に参加してくじを引いていたのか」については一切説明されていなかったのだから、渡辺氏の発言が誰にも相手にされなかったのは当然であろう。違法を主張するならせめてくじを引く前にしておくべきであった。
Wikipedia記事へのリンク:菅野智之 渡辺恒雄

ともかく球界の健全な維持・運営のためには、ある程度の均衡を図ることは不可欠である。巨人に限らず、他の球団も、また選手も、そのことは理解するべきだと思う。このような均衡を著しく破壊するような横暴にたいしては、筆者もファンとして批判の声をあげていきたい。

次回予告

▲INDEX
順序に従えば、次回は2015年のパリーグ3位である千葉ロッテマリーンズについて書くことになるだろう。なお、拒否率の算出に使用したエクセルのファイルは、例によりこのリンクから入手可能である。必要に応じてダウンロードしていただきたい。
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