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入団拒否率にみるプロ野球(File1:ホークス編)


以前のエントリーでは12球団計、及び各リーグの「ドラフトにおける入団拒否率」の推移を紹介した。

その記事を著すにあたり筆者は個々のチームごとのデータについても集計している。そこで以降の記事では各球団のデータについても個別に紹介してゆこうと思う。

まずは2015年の覇者である福岡ソフトバンクホークスから行こう。


目次

▲PAGE TOP
思いのほか長い記事になってしまったので、最初に目次を置く。

 ・指名/拒否リスト
 ・育成選手
 ・データの比較・分析
 ・主な入団拒否者についての解説 ・最後に
 ・次回予告

指名/拒否リスト

▲INDEX
まずドラフト指名の受諾/拒否のリストを示す。なお、ホークスの正式なチーム名は南海ホークス(1987年以前)福岡ダイエーホークス(1988~2004年)福岡ソフトバンクホークス(2005年以降)と変遷しているが、便宜のため一つの表にまとめている。

なお以前のエントリーで紹介したように、このリストはWikipediaにおける各年のドラフトの記事を集計して作られたものである。そのため各選手の名前もWikipediaへのリンクになっている。もしWikipedia側で該当選手の記事が作成されていれば別タブで詳細な記事を読めるだろう。

西暦1位指名2位指名3位指名4位指名5位指名6位指名7位指名8位指名9位指名10位以下
1965牧憲二郎阿天坊俊山本堯二栗崎日出
1966(一次)上田卓三石川義彦中条博古渡千城桜井輝秀井上昇岩切吉徳三好行夫中林義博
1966(二次)中村之保山本忠男松室武
1967藤原真西岡三四横山晴久高橋里志高畠導宏上林成行矢部祐一宮島義人坂英男
展開する
1968富田勝緒方修松井優典藤原満松村彰士前田四郎西浦秋夫東出康博鶴橋鉄行
展開する
1969佐藤道郎門田博光山本功児藪上敏夫中山孝一鈴木治彦堀井和人山田克己北尾一喜堀内三郎
1970島本講平矢部徳美門田純良池内豊阪田隆黒田正宏古川治夫柏原純一青木倫一瀬戸内忠
1971野崎恒男飯山正樹定岡智秋片平伸作鶴崎茂樹山本雅夫土屋明生慶野茂林正広
1972石川勝正伊藤正信池之上格簑田浩二小川一夫河合充本田勤入山功
1973藤田学山倉和博河埜敬幸平山正人
1974長谷川勉新井鐘律浜名繁幸岡本圭右米谷延夫佐藤豊一
1975森口益光渡辺光弘立石充男松尾裕二平沢隆好土手本勝
1976武藤一邦久保寺雄唐木祥一村上之宏相方裕二上野克二
1977中出謙二梅津茂美中塚昌尚竹口昭憲井上新一竹内和憲
1978高柳秀樹藤田達也岡本光吉田博之
1979名取和彦香川伸行山内孝徳水谷茂雄
1980山内和宏井上祐二刀根剛山田勉
1981金城信夫赤星鉄治矢野実藤本博史岡本光川本和宏
1982畠山準大久保学青井要山川周一藤本修二森田芳彦
1983加藤伸一山口裕二岸川勝也山中律俊西浦敏弘佐々木誠
1984田口竜二湯上谷宏大塚義樹松崎秀昭岩田由彦坂口千仙
1985西川佳明中村弘道広永益隆西山秀二坂田和隆安田秀之
1986田島俊雄森浩之右田雅彦大塚賢一
1987吉田豊彦若井基安柳田聖人大道典良吉永幸一村田勝喜
1988篠田淳御船英之松本卓也村上誠一山之内健太田勝正
1989元木大介金沢健一橋本武広西俊児馬場敏史田代広之
1990木村恵二内之倉隆江口孝義下柳剛足利豊村松有人
1991若田部健作山和英浜名千広三井浩二山口信二本田明浩林孝哉市原圭久保孝之田畑一也
1992大越基久保貴裕濱涯泰司佐藤真一渡辺正和
1993渡辺秀一小久保裕吉本一義吉武真太澤田剛
1994城島健司斉藤貢本間満藤井将雄
1995斉藤和巳松本輝土井雅弘佐久本昌高橋和幸福田信一
1996井口忠仁松中信彦柴原洋倉野信次岡本克道村上鉄也新里紹也
1997永井智浩篠原貴行木村茂星野順治辻武史笹川隆
1998吉本亮松修康小椋真介福山龍太水田章雄
1999田中総司広田庄司的場直樹川崎宗則田中瑞季
2000山村路直山田秋親加藤暁彦山崎勝己荒金久雄中村浩一
2001寺原隼人杉内俊哉神内靖北野良栄飯島一彦養父鉄井手正太
2002和田毅 新垣渚 溝口大樹大野隆治森本学田中直樹稲嶺誉
2003馬原孝浩 城所龍磨明石健志榎本敏孝金子圭輔三瀬幸司竹岡和宏
2004江川智晃高橋徹中西健太高橋秀聡加藤領健定岡卓摩
2005(社)松田宣浩 藤岡好明甲藤啓介本多雄一柳瀬明宏
2005(高)荒川雄太大西正樹大田原隆川口容資
2006(社)大隣憲司 高谷裕亮森福允彦長谷川勇川頭秀人
2006(高)福田秀平伊奈龍哉李秉諺
2007(社)大場翔太久米勇紀
2007(高)岩嵜翔中村晃藤井翼
2008巽真悟立岡宗一近田怜王有馬翔攝津正金無英鈴木駿也
2009今宮健太川原弘之下沖勇樹中原恵司豊福晃司
2010山下斐紹柳田悠岐南貴樹星野大地坂田将人
2011武田翔太吉本祥二塚田正義白根尚貴嘉弥真新
2012東浜巨伊藤祐介高田知季真砂勇介笠原大芽山中浩史
2013加治屋蓮森唯斗岡本健上林誠知
2014松本裕樹栗原陵矢古澤勝吾笠谷俊介島袋洋奨
2015高橋純平小澤怜史谷川原健茶谷健太黒瀬健太川瀬晃

なお、ドラフト制度の黎明期においては球団側から交渉権を放棄する事例も稀にみられた。
しかし、交渉失敗による放棄と区別が困難であることからこの場合も入団拒否として扱っている。
※たとえば2014年に中日は育成1位指名の佐藤雄偉知選手の交渉権を放棄したが、これは「入団拒否の結果として交渉権を放棄」したケースである。
 参考記事: なぜ…中日 育成ドラ1の交渉権を放棄(Sponichi Annex)


凡例は以下のとおりである。
凡例
白色指名に応じ入団した選手下線逆指名による入団選手
淡黄色シーズン後に入団した選手灰色 入団を拒否した選手

ドラフト黎明期に多かった入団拒否が、次第に減少していく傾向は上記の表をみても明らかだろう。
※なお松室武選手については背景色が暗青色になっているが、これは対象外の選手を誤って指名し取り消されたものである。

育成選手

▲INDEX
次に育成選手の指名リストを示す。
2015年現在、ホークスの育成指名を拒否した人物はいない。

西暦1位指名2位指名3位指名4位指名5位指名6位指名7位指名8位指名9位指名10位以下
2005小斉祐輔西山道隆
2006山田大樹
2007
2008内田好治二保旭柳川洋平猪本健太堂上隼人
2009
2010安田圭佑中原大樹伊藤大智千賀滉大牧原大成甲斐拓也
2011釜元豪亀澤恭平三浦翔太清水貴之新崎慎弥笹沼明広飯田一弥
2012八木健史大滝勇佑飯田優也宮崎駿
2013石川柊太東方伸友曽根海成張本優大
2014幸山一大齋藤誠哉山下亜文堀内汰門柿木映二金子将太河野大樹中村恵吾
2015野澤佑斗児玉龍也樋越優一中村晨渡辺健史

上記のように、ホークスは全部で42名の選手を育成指名している。
これは読売ジャイアンツの51名に次ぐ多数だ。

育成選手の指名数(2015年までの累計)
巨人   51横浜   14ロッテ   20福岡   42
中日18広島16オリックス8日本ハム0
阪神10ヤクルト12楽天14西武3


データの比較・分析

▲INDEX
過去ドラフト会議で福岡に指名された選手の数は育成選手を含めて371人で、そのうち入団拒否は42名入団拒否率は11.32%だ。これはパリーグの球団としてはかなり低い水準であり、新設の楽天をのぞいた11球団のなかで少ないほうから8番目に当たる。

ドラフト指名におけるチーム別入団拒否率(2015年まで)          
チーム名指名数拒否数拒否率順位
巨人391369.21%11
中日365359.59%10
阪神3414412.90%5
横浜3504212.00%6
広島3543911.02%9
ヤクルト3655615.34%3
福岡3714311.59%8
日本ハム3554211.83%7
西武3565415.17%2
ロッテ3655916.16%1
オリックス3444914.24%4
近鉄2655119.25%
楽天9400.00%

球団史上もっとも拒否率が高かったのは16人中10人が拒否した1967年で、その拒否率は62.5%だった

※入団拒否率の推移:
※画像をクリックすると表の全体を表示する。

参考としてグラフも以下に示しておく。


なお母数には指名を取り消された松室武氏も含めているが、拒否者の数には含めていない。
また翌シーズン後などに遅れて入団した選手(藪上敏夫・門田純良・村上之宏・山内孝徳氏)も拒否者に算入していない。

主な入団拒否者についての解説

▲INDEX
以下の項目では、ホークスへの入団を拒否した主な選手につき、その後の活躍の概略を示す。
また特記すべき事項については私見により多少の解説を加える。

藤原真

▲INDEX
ホークスの1位指名を拒否した最初の選手。1967年に入団拒否。翌年にサンケイアトムズ(ヤクルトスワローズ)の1位指名を受けたときは応じた。投手として通算23勝48敗、防御率4.21の記録を残している。
Wikipedia記事へのリンク:藤原真

上林成行

▲INDEX
ドラフト指名を3回拒否した選手。拒否回数2位タイ。ホークスの6位指名も1967年に断っている。最終的に近鉄に入団したが一軍昇格は果たせなかったらしい。
Wikipedia記事へのリンク:上林成行

ドラフト拒否回数が2回以上の選手
選手名拒否
藤沢公也4回
三浦健二、上杉成行、浜師勝彦、島谷金二、八塚幸三3回
中村裕二、尾形正巳、山本昌樹、樋江井忠臣、樋野和寿、佐々木辰夫、仲子隆司、小島健郎、太田進、佐藤博、根本俊郎、山根政明、田村忠義、野村茂、岡本光、三好行夫、加藤秀司、長野久義、土居靖典、伊達義城、吉田好伸、江川卓、笠間雄二、長嶺俊一、大町定夫、石井吉左衛門2回


加藤秀司

▲INDEX
加藤氏は1967年にホークスの10位指名を拒否した選手。翌年阪急の2位指名に応じて入団し、通算2055安打を残す活躍をして名球会入りした。首位打者を2回獲り、打点王にも3度輝いている。左投左打の一塁手で、通算打率は.297。もし加藤氏が入団していれば連続21年のAクラス入りを果たした南海の黄金期はさらに伸びていたかもしれない。
Wikipedia記事へのリンク:加藤秀司

連続Aクラス記録(2015年まで)
巨人14年1948~1961年
中日11年2002~2012年
阪神11年1950~1960年
横浜5年1997~2001年
広島9年1983~1991年
ヤクルト4年2001~2004年
福岡21年1946~1966年
日本ハム7年1961~1967年
西武25年1982~2006年
ロッテ4年1968~1971年
オリックス11年1989~1999年
近鉄5年1988~1992年
楽天--
※前身球団を含む。ただしオリックスは近鉄のデータを除外。タイ記録がある場合は最新の年号を採用。

山本功児

▲INDEX
大阪府堺市出身。実家が当時の南海ホークスの練習場に近く、幼少期はホークスの選手にかわいがられていたらしい。しかし、1969年のドラフト会議で南海の3位指名を受けたときはこれを拒否。1975年に5位で巨人のドラフトを受けたときは応じている。v9時代を経た巨人のブランド力の賜物だろうか。
Wikipedia記事へのリンク:山本功児 V9時代

山本選手は選手層の厚い巨人でも「代打の切り札」として活躍。1984年に移籍した先のロッテでは3割近い打率を残した。通算699安打、打率.277。後にロッテの監督も務めた。ホークスに入団していれば暗黒期における貴重な戦力になっていただろう。

簑田浩二

▲INDEX
1972年にホークスの4位指名を拒否した選手。1975年に阪急の2位指名を受けたときは入団している。1978年には61盗塁を記録したほどの俊足で、外野手として8年連続のダイヤモンドグラブ賞を獲得したほどの守備の名手でもあった。1983年には30年ぶりのトリプルスリーも達成(.312、32本塁打、35盗塁)している
Wikipedia記事へのリンク:簑田浩二

蓑田氏は通算1286安打、打率.279と優秀な戦績を残した。獲得に成功していれば以降の暗黒期におけるホークスの戦績はかなり改善されていただろう。

岡本光

▲INDEX
岡本氏はホークスの指名を2度拒否した人物である。
Wikipedia記事へのリンク:岡本光

78年に3位指名を受けるが拒否して松下電器に就職。1981年に再び5位指名を受けるがやはり拒否。ホークスの誘いを二度も断った岡本氏だったが、1982年に巨人の2位指名を受けたときはあっさり入団した。「天下の巨人」のブランド力はやはり大きかったのだろうか。

選手層の厚い巨人軍では岡本氏はそれほどの実績を残すことができなかった。1989年からは西武に移籍するが、その西武も当時森監督のもとで黄金期を迎えており、やはり厚い選手層に阻まれ一軍のマウンドに立つことはできなかった。通算成績は66投球回を投げて3勝2敗。通算防御率は3.55。

岡本選手が最初にドラフトを拒否したまさにその1978年からホークスは史上空前の低迷期に突入している。もし南海に入団していれば岡本選手は貴重な投手戦力になっていただろう。

山倉和博

▲INDEX
優勝チームの陰には名捕手あり。これは日本球史に残る最も優れた捕手の一人であった野村克也氏の言葉だ。V9時代の巨人には森がいた。黄金時代の西武には伊藤がいた。たしかに強いチームには必ずといっていいほど優秀な捕手がいた。「優れた正捕手が育てばチームは10年安泰」と言うものさえいる。
Wikipedia記事へのリンク:山倉和博 野村克也 森祇晶 伊藤勤  

しかし捕手は積み重ねてきた経験が大きくものをいうポジションでもある。だから捕手の育成には非常な時間がかかる。だから名捕手と呼ばれる絶対的な存在がポジションを独占してしまうと若手の育成がそれだけ遅れてしまう。そしていざその捕手が引退してしまった後に、そのチームは非常に苦しむことになる。
 
野村克也氏は1960年代の南海に君臨する絶対的な捕手だった。1968年からは選手兼任監督として当時の南海ホークスの指揮をとっていた。その野村氏が自身の後継者として獲得しようとしたのが山倉氏だ。しかし山倉氏は1973年にホークスの2位指名を断り早稲田大学に進学してしまう。

そしてその野村氏自身も1977年に南海から解任されてしまった。当時野村氏と不倫関係にあった沙知代氏が、監督室に出入りして南海のチーム運営にまで口を出し、チーム内に不満が渦巻いた結果であるらしい。むろん愛人を職場に連れ込む監督にも問題はあろうが、つくづく凄い女であった。
Wikipedia記事へのリンク:野村沙知代

絶対的な正捕手が引退してしまうとその後のチームは、その捕手の「穴」に非常に苦しむことになる。だから野村克也氏が抜けた後の「穴」も非常に大きかった。むろん野村の解任騒動にともなう江夏氏や柏原氏の移籍によるダメージも大きかったのだろう。セ・パ両リーグを通じて最悪の記録である20年連続のBクラス。これはまさにホークスが野村克也氏の抜けた直後から記録したものだ。
Wikipedia記事へのリンク:江夏豊 柏原純一

連続Bクラス記録(2015年まで)
巨人2年2005~2006年
中日4年1939~1942年
阪神10年1993~2002年
横浜10年1950~1959年
広島18年1950~1967年
ヤクルト12年1962~1973年
福岡20年1978~1997年
日本ハム13年1946~1958年
西武7年1968~1974年
ロッテ9年1996~2004年
オリックス8年2000~2007年
近鉄14年1955~1968年
楽天4年2005~2008年
※前身球団を含む。ただしオリックスは近鉄のデータを除外。タイ記録がある場合は最新の年号を採用

この史上空前の低迷は最終的に「ファンから生卵が飛んでくる」騒動にまで発展する。いわゆる生卵事件が起きたのは1996年のことだ。広島のワースト記録に並ぶ「18年連続でBクラス」という負の偉業を球史に残してしまったホークスに対してついにファンの怒りが爆発したのだ。

ファンの怒りの矛先は当時の監督であった王貞治氏にも向けられた。日生球場に集まったファンは「その采配は王間違い」「病原性敗北菌 OH-89」といった横断幕を掲げて監督の采配を揶揄した。ファンの一部は暴徒化し、選手の乗り込むバスに約50個もの生卵を投げつけたという。
Wikipedia記事へのリンク:王貞治

ホークスの指名を断った山倉氏は1977年に巨人に入団した。野村氏のような大捕手とは比べるべくもないが、それでも山倉氏は10年近くにわたり巨人の正捕手として活躍した。1978年から長い暗黒時代を迎えたホークスにとって、山倉氏を取れなかったことはやはり大きかったのではないか。山倉氏が在籍していれば、ホークスの低迷はそれほど長引かずに済んだ可能性もある。あるいは「生卵事件」もなかったかもしれない。

元木大介

▲INDEX
元木氏は1989年に当時のダイエーホークスの1位指名を拒否した選手だ。先述のように当時のホークスは史上空前の暗黒期の真っただなかにあった。この1989年の時点で、実に「11年連続Bクラス」の真っ最中である。入団を断られるのも無理はなかった。
Wikipedia記事へのリンク:元木大介

そのホークスはその後もBクラスを続け、実に9年後の1998年までAクラスに復帰することはない。「一年ハワイで油を売ってまで」巨人に入団することを選んだ元木氏の判断は、率直に言って正しかったのではないかと評さざるを得ない。

なお、元木選手は巨人で通算891安打を打ち、通算打率.262をマークしている。

三井浩二

▲INDEX
三井選手は1991年にホークスに4位指名されたが入団を拒否した。その後25年間にわたってホークスの指名を受けて入団を拒否した選手は現れていない。つまりこの三井氏がホークスの指名入団交渉を拒否した最後の選手である。
Wikipedia記事へのリンク:三井浩二

三井選手は後に逆指名で西武に入団。568投球回を投げて通算36勝20敗、防御率4.45という結果を残した。

最後に

▲INDEX
20年もの長期に及ぶ低迷を見せたホークスだったが、王貞治氏や、1995年に西武から獲得した工藤公康氏(現ソフトバンク監督)の奮闘もあって現在ではむしろ強豪球団に返り咲いている。
Wikipedia記事へのリンク:工藤公康

生卵事件から今年(2016年)でちょうど20年になる。もちろん暴力行為は許されるべきことではない。しかし、卵を投げるほどの熱心なファンの応援に支えられてきたことが強豪ホークスの復活に結びついているのかもしれない。

次回予告

▲INDEX
今回はドラフト指名とその拒否、及びその影響という観点から福岡ソフトバンクホークスについての記事を作成した。次回はセリーグの前年優勝チームであるヤクルトスワローズについての記事を紹介する予定である。

なお、本稿を執筆するにあたり集計に使用したエクセルのファイルは別サイトにアップロードした。もし必要であればこちらのリンクからダウンロードして欲しい。
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