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入団拒否率にみるプロ野球(File13:横浜編)

このエントリーはドラフト会議における指名拒否を主題として書かれた記事の第13回目、つまり最終回である。今回は前年度セリーグ最下位の横浜DeNAベイスターズについて書く。



目次

▲PAGE TOP
 ・指名/拒否のリスト
 ・育成選手
 ・データの比較・分析
 ・主な入団拒否者についての解説
 ・最後に
 ・追記

指名/拒否のリスト

▲INDEX
例により、まず指名・拒否のリストから入る。

1954年に松竹が撤退して以降、同球団は大洋ホエールズと呼ばれていたが、1978年の球団移転時に横浜大洋ホエールズと改称され、1993年には横浜ベイスターズに再度改称された。下記のリストは1つの表にまとめられているが、現在の横浜DeNAベイスターズという名称が使用されるようになったのは2012年以降である。

なお、このリストはWikipediaのドラフトに関係する各年の記事をまとめることによって作成したものである。そのため選手名もWikipediaへのリンクになっている。Wikipedia側で同名の記事が作成されている場合には別タブで詳細な記事を読めるだろう。

西暦1位指名2位指名3位指名4位指名5位指名6位指名7位指名8位指名9位指名10位以下
1965岡正光加藤俊夫淵上澄雄岸勝之樋口実紺野功白井秀樹小山正竹之内雅石崎一夫
1966(一次)松岡功祐忍全功新井昌則臼井保夫志水俊明小野彰沼崎剛志山田誠二
1966(二次)山下律夫平松政次柳沢一三
1967小谷正勝中塚政幸米田慶三池田重喜金村東安田泰一竹村一義赤沢伸雄引地健二
展開する
1968野村収辻博司井上幸信鎌田幸雄長野哲粟田良孝鈴木哲夫渡辺孝博
1969荒川堯間柴富裕谷岡潔松島英雄石幡信弘藤田賢治
1970野口善男佐藤守清水透鵜沢達雄八木勝彦榎本直樹芦岡俊明
1971竹内広明奥江英幸小林浩二佐藤博白柳和吉若林憲一笹川博山林明雄藤池昇
1972長崎慶一杉山知隆田代富雄益山性旭矢野俊一佐藤龍一清水透
1973山下大輔大橋康延草場益裕ウイリー三浦道男長野隆裕藤原仁
1974根本隆宮本四郎大川浩鈴木徳義尾形正巳三浦正行
1975田村政雄岩井靖久松本隆春斉藤巧根本俊郎
1976斉藤明雄丸谷富美山村陽一坂本照彦安田尚弘西連寺隆
1977門田富昭加藤英美遠藤一彦大久保弘谷内野隆屋鋪要
1978高本昇一与座朝勝小山昭晴増本宏
1979杉永政信江幡和志竹之内徹北安博
1980広瀬新太堀井恒雄高木豊市川和正
1981右田一彦菊地恭一村岡耕一竹下浩二金沢次男山中博一
1982大畑徹関根浩史西村博巳高橋雅裕武田康井口竜也
1983銚子利夫青木秀夫板倉賢司大門和彦戸塚友行片平保彦
1984竹田光訓日野善朗蒲谷和茂長谷川国杉浦幸二岡本哲司
1985中山裕章高橋一彦大川隆北野勝則相川英明大久保勝
1986友利結石井章夫松村高明大野雄次塩崎兼一榊原勝也
1987盛田幸妃岡本透野村弘清水義之横谷彰将田辺学
1988谷繁元信宮里太井上純堀江賢治石田文樹佐野貴英
1989佐々木主東瀬耕太平塚克洋今久留主川端一彰知野公昭
1990水尾嘉孝宮川一彦加藤将斗鈴木尚典米正秀渡部高史
1991斎藤隆永池恭男有働克也斉藤肇石本豊三浦大輔山根善伸川北和典
1992小桧山雅佐伯貴弘五十嵐英金村康平戸叶尚吉井晃田中敏昭
1993河原隆一波留敏夫大家友和川崎義文西澤洋介万永貴司
1994紀田彰一米正秀福盛和男多村仁相川亮二加藤謙如
1995細見和史関口伊織横山道哉杉山俊介鶴岡一成
1996川村丈夫森中聖雄大野貴洋石井義人神田大介
1997谷口邦幸新沼慎二関屋智義田中充宮内洋
1998古木克明矢野英司金川直樹福本誠金城龍彦小池正晃
1999田中一徳木塚敦志村西哲幸鈴木寛樹南竜介七野智秀中野渡進八馬幹典
2000内川聖一吉見祐治後藤伸也東和政鈴木健之西崎伸洋稲嶺茂夫竹下慎太渡辺雅弘
2001秦裕二小田嶋正岡本直也田崎昌弘千葉英貴
2002村田修一 土居龍太 加藤武治吉村裕基北川利之飯田龍一河野友軌堤内健
展開する
2003吉川輝昭 森大輔 牛田成樹呉本成徳
2004那須野巧 染田賢作 藤田一也岸本秀樹石川雄洋橋本太郎桑原義行松家卓弘齋藤俊雄
2005(社)高宮和也 内藤雄太三橋直樹
2005(高)山口俊黒羽根利
2006(社)高崎健太 木村雄太下園辰哉
2006(高)北篤梶谷隆幸高森勇気下窪陽介吉原道臣
2007(社)小林太志桑原謙太
2007(高)田中健二大田阿斗佐藤祥万坂本大空
2008松本啓二藤江均山崎憲晴細山田武小杉陽太
2009筒香嘉智加賀繁安斉雄虎眞下貴之福田岳洋
2010須田幸太加賀美希荒波翔小林寛大原慎司福山博之大原淳也靍岡賢二
2011北方悠誠高城俊人渡邊雄貴桑原将志乙坂智佐村・ト松井飛雄古村徹伊藤拓郎
2012白崎浩之三嶋一輝井納翔一赤堀大智安部建輝宮崎敏郎
2013柿田裕太平田真吾嶺井博希三上朋也関根大気山下峻
2014山崎康晃石田健大倉本寿彦福地元春山下幸輝百瀬大騎飯塚悟史
2015今永昇太熊原健人柴田竜拓戸柱恭孝綾部翔青柳昴樹野川拓斗

凡例は以下のとおりである。
凡例
白色指名に応じ入団した選手下線逆指名による入団選手
淡黄色シーズン後に入団した選手灰色入団を拒否した選手

なお、ドラフト制度の最初期には、指名した選手の交渉権を球団の側から放棄する例も少なくなかったそうだ。しかし、こうしたケースは入団を拒否されたためになされた交渉権放棄と区別することが難しい。そこでこの記事では、やむをえずこういった事例も入団拒否として扱っている。
※たとえば2014年に中日は育成1位指名の佐藤雄偉知選手の交渉権を放棄したが、これは「入団拒否の結果として交渉権を放棄」したケースである。
 参考記事: なぜ…中日 育成ドラ1の交渉権を放棄(Sponichi Annex)


育成選手

▲INDEX
次に、育成指名選手のリストを示す。

西暦1位指名2位指名3位指名4位指名5位指名6位指名7位指名8位指名9位指名10位以下
2005
2006
2007関口雄大杉本昌都
2008
2009国吉佑樹小林公太
2010松下一郎
2011冨田康祐西森将司
2012今井金太
2013砂田毅樹萬谷康平
2014亀井塔生
2015網谷圭将山本武白田村丈


これまで横浜の育成指名を受けた選手の数は18名である。
これは12球団中で上から5番目の数にあたり、おおむね平均的な数といえる。

育成選手の指名数(2015年までの累計)
巨人   51横浜   14ロッテ   20福岡   42
中日18広島16オリックス8日本ハム0
阪神10ヤクルト12楽天14西武3

なお2016年現在、横浜の育成指名を拒否した選手は存在しない。

データの比較・分析

▲INDEX
これまでドラフト会議で横浜に指名された選手の数は育成選手を含めて350人。そのうち入団拒否は42名(※)だった。入団拒否率は12.0%とセリーグの球団としてはやや高めだが、ドラフト1位指名の選手に入団を拒否された経験がないのは11球団中で横浜と中日のみである。

ドラフト指名におけるチーム別入団拒否率(2015年まで)          
チーム名指名数拒否数拒否率順位
巨人391369.21%11
中日365359.59%10
阪神3414412.90%5
横浜3504212.00%6
広島3543911.02%9
ヤクルト3655615.34%3
福岡3714311.59%8
日本ハム3554211.83%7
西武3565415.17%2
ロッテ3655916.16%1
オリックス3444914.24%4
近鉄2655119.25%
楽天9400.00%

なお球団史上もっとも拒否率が高かったのは71.43%を記録した1970年だった。

※入団拒否率の推移:
※画像をクリックすると表の全体を表示する。

参考としてグラフも以下に示す。


なお、入団時期が遅れた選手(平松政次・荒川堯・佐藤龍一郎・三浦正行・岡本哲司・田辺学)は拒否者に算入していない。
この点も前回までと同様である。

主な入団拒否者についての解説

▲INDEX
以下の項目では、横浜への入団を拒否した主な選手につき、その後の活躍の概略を示す。
また特記すべき事項については私見により多少の解説を加える。

加藤俊夫

▲INDEX
当時から東北の強豪校だった仙台育英高校の捕手。高校生とは思えないような強肩・強打で高く評価され、1965年に高卒ルーキーながら大洋の2位指名を受けるも入団を拒否。翌1966年の第2次ドラフトでサンケイアトムズの1位指名を受けて入団した。
Wikipedia記事へのリンク:加藤俊夫

ルーキーイヤーの1967年度こそあまり活躍の機会を得られなかったものの、2年目からは正捕手に定着し、1969、1970年とレギュラー選手として活躍。しかし、1970年のシーズン途中に無免許運転で逮捕されて無期限出場停止処分となり、同年オフにそのまま解雇された。

1972年からは東映フライヤーズに採用されてカムバック。主に正捕手として10年近くにわたりかなりの活躍を残す。もっとも1981年には肩の衰えにより出場機会が減少し、1982年には一度は入団を拒否した大洋ホエールズにトレードされた。

全盛期ほどの活躍は示せなかったものの、加藤捕手は大洋でも4年に渡りそれなりの成績を残している。

加藤選手は生涯通算で962安打を放ち、通算打率.247を残した。もし1965年の段階で大洋に入団していれば伊藤選手と正捕手を争っていたかもしれない。もっとも、その場合でも無免許運転でやはり逮捕されてしまっていたかもしれない。

竹之内雅史

▲INDEX
1965年に大洋の9位指名を拒否した選手。
Wikipedia記事へのリンク:竹之内雅史

日本通運に入社した後は都市対抗野球で活躍し、1967年のドラフト3位で西鉄ライオンズに入団。ルーキーイヤーの1968年から一軍に定着し、猫背打法など独特の変則打法で人気を博した。10年余りに渡って低迷期の西鉄を支えた名選手だった。

1979年には阪神に移籍し、キャリアハイとなる打率.282、25本塁打をマーク。1980年以降は怪我の影響などで思うような成績を残せなくなり、1982年限りで引退してしまったものの、現役通算では1085安打をマークし、打率.249を残している。

球際に極端に踏み込んで打つ打撃スタイルのため必然的にデッドボールを浴びることが多く、そのため南海の野村捕手には特攻隊とあだなをつけられたりもした。通算166死球は当時のプロ野球記録(※)であり、現在もパリーグ記録である。
Wikipedia記事へのリンク:野村克也
※現在のプロ野球記録は清原和博選手の196死球。

竹ノ内選手は内野・外野のいずれも守れる器用な選手でもあった。
もし1965年の段階で大洋に入団していても相当な活躍を残していただろう。

谷木恭平

▲INDEX
今年(2016年)夏の甲子園で準優勝を果たした北海高校のOB。
1963年春の甲子園大会で1試合5盗塁の大会記録をマークするなど、非常に走塁能力の高い選手だったらしい。
Wikipedia記事へのリンク:谷木恭平

谷木選手は中日の勧誘(当時はドラフト制度の開始前)を断り立教大学に進学。
卒業後の1967年に大洋ホエールズの10位指名を断り新日鉄室蘭に入社した。

なお、谷木選手は5年後の1972年に、かつて入団を断った中日ドラゴンズに入団し、2年目からはレギュラー外野手としてそれなりの結果を残している。ただしプロ入りが遅かったせいか、この頃には走塁能力はかなり衰えていたらしい。

谷木選手は1980年に引退するまで355本の安打を放ち、打率.258の成績を残した。

玉井信博

▲INDEX
松山高校のエース投手だった選手。1967年に大洋の11位指名を拒否した。
Wikipedia記事へのリンク:玉井信博

東洋大卒業後の1971年に7位指名を受けて読売ジャイアンツに入団。1973年には6勝をあげるなどそこそこの成績を残していたが、1976年に太平洋クラブ(ライオンズ)にトレードされた後は、目だった成績を残すことがないまま5年で引退した。

通算成績は13勝31敗。通算防御率は4.33だった。

渡辺孝博

▲INDEX
1968年に大洋の8位指名を拒否した投手。1972年にヤクルトアトムズの7位指名を受けて入団。
Wikipedia記事へのリンク:渡辺孝博

渡辺選手は当時既に26歳と遅めのプロ入りだったが、先発・救援の双方でそれなりに活躍した。
6年間の現役で24勝38敗2セーブの成績を残し、通算防御率として3.96をマークしている。

清水透

▲INDEX
1970年に大洋ホエールズの3位指名を拒否した選手。1972年に再度7位で指名され入団した。
Wikipedia記事へのリンク:清水透

清水選手は主に内野のユーティリティ・プレイヤーとして活躍したが、レギュラー選手として定着することはできなかった。1982年のオフには西武にも移籍したが、出場機会に恵まれないまま1年限りで引退。現役通算で79安打を放ち、打率.206の成績を残している。

榎本直樹

▲INDEX
1970年に大洋の6位指名を拒否した投手。翌71年のドラフトでヤクルトアトムズに2位指名を受けて入団。
Wikipedia記事へのリンク:榎本直樹

1973年には5勝4敗、防御率2.71の好成績を残したが、その後は目立った活躍を残せないまま1977年には広島に移籍。榎本選手は広島でも結果を残すことができず、結局1年限りで引退した。通算成績は7勝9敗、通算防御率は3.56だった。

芦岡俊明

▲INDEX
大洋の7位指名を1970年に拒否した選手。
Wikipedia記事へのリンク:芦岡俊明

亜細亜大卒業後の1974年に3位指名を受けてロッテに入団。飯塚選手とのショートのポジション争いに敗れたため、遊撃手としてはあまり出場機会を得られなかったが、79年に外野手に転向して以降は一軍に定着し、それなりの活躍を残した。

芦岡選手は1987年に引退するまで13年間で425本の安打を放ち、打率.252の数字を残している。

佐藤博

▲INDEX
1971年に大洋の4位指名を拒否した選手。1972年にはロッテの4位指名も拒否している。
Wikipedia記事へのリンク:佐藤博

1973年に1位指名を受けてヤクルトに入団したが、プロの一軍ではほとんど活躍できないまま1979年に引退。一軍公式戦は10試合に登板したのみでありいずれも勝敗はついていない。通算防御率としては3.00という数字が残っている。

益山性旭

▲INDEX
1972年に大洋の4位指名を拒否して帝京大に進学した左腕投手。
Wikipedia記事へのリンク:益山性旭

大学卒業後の1976年には1位指名を受けて阪神に入団したが、プロではそれほどの成績を残せないまま1984年に引退し、打撃投手となった。しかし、当時の阪神では左投手が不足していたため、益山投手は1985年のシーズンは現役に復帰して8試合に中継ぎ登板している。打撃選手から現役に復帰したやや珍しい例である。

なお、益山投手は現役通算で11勝27敗1セーブの成績をあげ、防御率4.63という数字を残している。

藤原仁

▲INDEX
1973年に大洋の7位指名を拒否した左投手。7年後の1980年にドラフト外で阪神に入団した。
Wikipedia記事へのリンク:藤原仁

入団直後のシーズンから40投球回を投げ防御率2.25と悪くない成績を残した藤原投手は、1982年のシーズンには先発としても起用され、6勝3敗で防御率2.41と結果を残した。もっとも1983年以降のシーズンは故障により低迷し、1988年には日本ハムファイターズに移籍したが、結果を残すことができないまま同年オフに引退した。

かなりプロ入りが送れたこともあって、藤原投手の通算成績は6勝7敗2セーブに留まる。しかし、もし1973年の段階で大洋ホエールズに入団していれば、あるいは相当な活躍を残せていたかも知れない。通算防御率は3.26であった。

蒲谷和茂

▲INDEX
1984年に横浜大洋ホエールズの3位指名を拒否した選手。
Wikipedia記事へのリンク:蒲谷和茂

社会人選手としては東芝に在籍し、1988年にはソウルオリンピックの代表選手候補にも選ばれていたが、同年に交通事故で瀕死の重傷を負い野球部を退部。肋骨が三本折れて肺に刺さるほどの大怪我だったらしい。

一時は再起不能かと思われた蒲谷選手であったが、1991年には西武の入団テストに合格。しかし、9位指名を受けて入団したものの、事故の後遺症で身体のキレは戻らなかったようだ。蒲谷選手は一軍で登板する機会のないまま1年限りで退団している。

石井章夫

▲INDEX
西武ライオンズで68勝をあげた石井貴投手の兄。
Wikipedia記事へのリンク:石井章夫 石井貴

1986年に横浜の2位指名を拒否して東京ガスに入社。
2003~2005年のシーズンには同社野球部の監督にも就任している。

米正秀

▲INDEX
1990年に横浜の5位指名を拒否した投手。改称後の球団が1995年に再び2位指名したときは入団した。
Wikipedia記事へのリンク:米正秀

米選手はプロの一軍ではそれほど目立った成績を残すことはできなかったが、2001年のシーズンのみは好投し、36投球回を投げて防御率2.50という数字を残している。通算の戦績は4勝4敗。通算防御率は4.44である。

木村優太

▲INDEX
2005年に横浜の3位指名を拒否した選手。ベイスターズへの改称後に入団を拒否した唯一の人物である。

木村選手は当初から在京パリーグの球団へ入団することを希望していたが、翌2006年には高校時代に西武ライオンズから栄養費として270万円の裏金を受け取っていたことが発覚。2008年に1位指名を受けてロッテに入団したが、入団前の期待の大きさに反してプロの一軍ではほとんど結果を残すことはできていない。

2015年までの通算戦績は1勝6敗1ホールド。通算防御率は5.24。
ついに今年(2016年)10月1日に球団から戦力外通告を受けてしまった。

最後に

▲INDEX
2016年のシーズン、横浜は69勝71敗ながら3位となり久しぶりのAクラスに返り咲いた。
大した成績ではないようにも思えるが、ここ10年に及ぶ低迷を思えば大健闘とも呼べる数字であろう。

25年にわたりリーグ優勝から遠ざかっていた広島が1位になるなど、2016年度のセリーグはシーズン前からは全く予想もしなかった結果になっている。パリーグについても筆者は「どうせソフトバンクの優勝だろう」と決めつけ、日本ハムの優勝はまったく考えていなかった。
※筆者は一応、地元球団の西武を応援している。

実際、今期の広島は何かの間違いでは無いのかと思えるほどの強さだった。シーズン前の筆者は「広島5位、横浜6位」と考えていたが。結果的に全く的外れな予想になってしまっている。何が起きるか分からないからこそ、野球は面白い。戦力的には正直厳しそうではあるが、来年度こそ西武ライオンズの奮起を期待したい。

追記

▲INDEX
拒否率の計算に使用したファイルは例により別サイトにアップロードしている。
もし必要であれば、こちらからダウンロードしていただきたい。

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