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プロ野球のドラフトXX位。史上最も数字が大きいのは?

野球選手のほとんどは、毎年シーズンオフに行われる「ドラフト会議」で指名されることによりプロ入りする。

このドラフト会議では球団が欲しい人材から1位、2位と指名されてゆく。必然的に上位指名者ほどプロで活躍する可能性が大きく、逆に下位指名者が大活躍することは滅多にない。

では、ここでひとつ問題を出してみよう。

そんなドラフト会議において、歴代でもっとも指名順位の数字が大きかったのは第何位だろうか?


史上最下位の指名選手は第何位か?

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正解は、18位だ。

1965年にドラフト18位で広島に入団した下村栄二投手が、日本の歴代選手のなかで最も下位の指名順位をもつ人物である。1965年はドラフト制度が開始したまさにその年である。それから半世紀以上の間、彼よりも大きい数字で指名された選手は現れていない。
Wikipedia記事へのリンク: 下村栄二 1965年度新人選手選択会議

いわゆる偵察要員として出場登録された記録は残されているが、下村選手は実質的に一軍のマウンドに立つことはできなかったらしい。しかし「ドラフト18位」で指名された人物は長いプロ野球の歴史で彼一人である。その意味では下村選手は球史に名前を残したといえるだろう。
Wikipedia記事へのリンク: 偵察オーダー

なぜ18人も指名されたのか?

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ところで広島にかぎらず、この時代のドラフト指名者の数は概して多かった。さすがに18人とまでは行かなくても、一球団が15人前後の選手を指名することも決して稀ではなかった。もちろん、この時代はドラフトの指名人数に制限が設けられていないというのもある。しかし、それは各球団が多数の指名を行った理由の全てではない。

では、どうしてこの時代の球団は、このように多数の選手を指名したのだろうか?

理由は簡単だ。
指名されても入団を拒否するものが多かったのである。

近年のプロ野球では、選手が指名を拒否するのは例外的な場合に限られる。「希望していた球団とは別の球団に強行指名されてしまった」などの場合だ。しかし、この時代はそうではなかった。ドラフトの開始した1965年は巨人のv9時代が始まったまさにその年でもある。つまり王選手や長島選手の活躍によって野球人気が非常に高まる以前の時代だった。
Wikipedia記事へのリンク: V9時代 王貞治 長島茂雄

もちろん選手の年俸も現在のように高額ではなかった。またこの時代は社会人野球が盛んな時代でもあった。社会人野球の選手になれば、野球をやめても大企業の社員として安定した生活が保障されていた。そのためプロ入りの誘いを断って就職する者の数も多かった。

ドラフト制度の創設当初、入団拒否が非常に多かったのはこういうわけだ。

だから1966年の東映フライヤーズ(日本ハムファイターズの前身)のように、第一次会議で指名した11人のうち10人に断られたという例すらあった。現在でも入学辞退者の多い学校では「辞退を見越して多めの合格者を出しておく」などの対応がみられることがあるが、それと同じようなことがプロ野球でも行われた。この時代の球団はあらかじめ入団拒否を見越して多めの選手を戦力として確保しておく必要があったのだ。
Wikipedia記事へのリンク: 1966年度新人選手選択会議

これが当時のドラフト指名人数が多い理由だ。

入団拒否率の低下

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このようにドラフト制度の導入当初においては、指名された選手が入団を拒否する率はかなり高かった。
1965年にドラフト制度が導入された当初は実に6割以上が入団を拒否(※)していた
※ただし、球団が指名後交渉せず、そのまま交渉権失効となった選手も含んでいる。

しかしプロ野球人気が高まり選手の社会的地位が高まったことや、各球団の指名可能人数に上限が設けられたことなどにより、その後20年ほどのうちに入団を拒否する者の割合は急速に減少して行く。スカウト制度の整備にともない、指名対象者にあらかじめ根回しをしておくケースが増えたことも入団拒否が少なくなった理由の一つだろう。

1975年には拒否率は2割近くにまで下がり、1985年以降は入団拒否はほとんどみられなくなる。
※画像をクリックすると表の全体を表示する。(この数値は育成選手も含む)
※近鉄の1968年のデータに誤りがみられた等の理由で2016年8月14日に修正しました。今度こそ正確を期しています。申し訳ありません。
なお同日に「交渉権放棄」も入団拒否に含めるよう計算方法の変更が行われています。


ドラフト制度の施行後、指名者数が最も多かったのは1966年の145名で、拒否者の数が最も多かったのも同年の83名だ。拒否率が最も高かったのは60.61%を記録した1965年である。

補足として入団拒否率(12球団計)の推移を示すグラフも以下に示しておく。


このような拒否率の低下は両リーグに共通する傾向であり、グラフを重ね合わせてもあまり差異はみられない。
リンク: セ・リーグのみのグラフ パ・リーグのみのグラフ 全て重ねたグラフ

現在のプロ野球においては入団拒否の比率は非常に低い。2011年以降の5年間において、ドラフト指名による入団交渉を拒否した者は449人中わずか3名(0.6%)にすぎない。2004年に新設された東北楽天イーグルスにいたっては、いまだに1人も入団を拒否した事例がない。

このため2015年までの累計拒否率は約12.7%のべ4316人中550人拒否)にまで低下している。

データソースについて

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最後に、この記事を書き起こすに当たって参照したデータ類について説明しておく。

まず本稿で使用したデータは概ねWikipeiaの各年ドラフトの記事から抽出したものだ。拒否率の計算にあたってはドラフト指名を受けた選手が一旦は入団を拒否したとしても、最終的に球団の交渉に応じて入団した場合は「指名を拒否していない」ものとみなしている。またドラフトで指名されたものが実際には未だ在学中であり有資格者でなかった場合なども「拒否」には含んでいない。

ただし「実際には指名球団が交渉を行なわず、球団が交渉権を放棄した場合」であっても便宜上「拒否」に含めている。球団が入団交渉に失敗して交渉権を放棄した場合との区別がつかないため(※)である。
※たとえば2014年に中日は育成1位指名の佐藤雄偉知選手の交渉権を放棄したが、これは「入団拒否の結果として交渉権を放棄」したケースである。
 参考記事: なぜ…中日 育成ドラ1の交渉権を放棄(Sponichi Annex)


なお集計に使用したエクセルのファイルもアップロードしたので、必要ならばダウンロードしてほしい。

最後に

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この記事を執筆するにあたって筆者は「球団別のドラフト指名者の入団・拒否の一覧表」を作成した。htmlで作成された一覧性の高い表であり、選手名がWikipediaの同名記事へのリンクになっているものだ。

これらの表については後日に別のエントリーで紹介したいと思う。
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