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造幣局の博物館、10月3日さいたま新都心にオープン 入館無料


造幣局さいたま支局の博物館が10月3日に開館することが決定した。
当初に発表されていたとおりの日付である。

この博物館は、かつて東京都の池袋にあった東京支局の博物館が移転したものであり、造幣事業の周知・宣伝を行うための施設であるらしい。敷地には大阪の造幣局よろしくサクラ並木も整備されるそうだ。筆者も地元住民として、この場がさいたまの新たな名所となることを期待している。


この記事を書くに先立ち、筆者はあらかじめ閉館間際の東京支局博物館を訪問して展示内容を取材してきた。休日の暇つぶしに手頃な場所はないかと考えておられる方などは、この記事を参考のうえ、ぜひ造幣局さいたま支局博物館を候補に加えていただきたい。
※参考リンク:造幣局さいたま支局10月開局へ(さいたま新聞)

なお、10月3日にかぎり開館時間は午後1時とされている。
オープン初日に行こうと考えている方は注意されたい。

目次

▲PAGE TOP
 ・開館日時・アクセス等
 ・展示内容の紹介
 ・最後に

開館日時・アクセス等

▲INDEX
まず造幣局さいたま支局博物館の開館日時やアクセスなどを確認しておく。
造幣局のウェブサイトからキャプチャしてきた画像を張るだけだが、この方法が最も正確であろう。



さいたま新都心駅からは結構歩かなければならないようだが、何といっても入館料が無料なのはありがたい。



なお、造幣局のプレスリリースに掲載されていた地図(上図)では東西大通りを通るように勧めているが、途中まではコクーンシティ(ショッピングモール)の建物内を歩いたほうが快適に移動できそうだ。

展示内容の紹介

▲INDEX
以降の記事は東京支局博物館に展示されていたものを、目ぼしいものから順に紹介する形式で書く。さいたま支局の博物館は、敷地面積が東京支局の2倍近くになるそうだ。そのため展示内容自体も大幅に拡充される可能性が高い。しかし、おそらく展示物の傾向自体はこれと大きく変わったものとなることはないだろう。

皇朝十二銭

▲INDEX
西暦708年に現在の埼玉県秩父市からニギアカガネと呼ばれる銅塊が朝廷に献上されたことを祝して、元号が和銅と改められた。元号まで変えるぐらいなのだから当時の日本において銅鉱の発見は余程めでたかったのだろう。
Wikipedia記事へのリンク:和銅

ともかくこの年から日本では産出した銅を用いて銭貨の鋳造が行われるようになり、これがわが国における造幣の歴史のさきがけとなったとされる。

この和銅開珎に始まる十二種の古銭を皇朝十二銭と呼ぶ。
この博物館の展示物としては最も由緒正しいものだろう。
Wikipedia記事へのリンク:和銅開珎 皇朝十二銭

戦国期のお金

▲INDEX
群雄割拠の戦国時代には各国の大名が軍事費の調達のために盛んに金山・銀山を開発し、貨幣を鋳造させた。武田信玄がつくさせたとされる甲州金(左画像)は、そのなかでも特に有名なものであろう。
Wikipedia記事へのリンク:甲州金

また甲州金は日本で初めて整備された計数貨幣の体系であったとされる。この1両=4分=16朱という四進法のシステムは、江戸時代に徳川幕府にも採用されている。
※数数貨幣とは品位や重量に一定の保証があり、枚数を数えるだけで交換価値を把握できる貨幣のことをいう。
 それまで日本で流通していたのは取引毎に品位・重量を検査する必要のある秤量貨幣であった。



右画像は法馬金と呼ばれる金塊であり、豊臣秀吉や徳川家康等が鋳造させたものだとされている。もちろん流通貨幣として用いるものではなく、非常時に備えて蓄えておくためのものであったらしいが、財政難でほとんどが幕末までに鋳潰されてしまったそうだ。


江戸時代の貨幣

▲INDEX
江戸時代といえば、日本ではじめて庶民に本格的な貨幣経済が浸透しだした時代である。それまで貨幣に縁のなかった農民も自家消費を目的としない数多くの商品作物を作って売りさばくようになり、結果一般の農家が貨幣を手にする機会も増えてきた。

もちろん東京支局の博物館にも、江戸時代の貨幣は多く展示されていた。左の画像はそのなかでも特に高価だと思われる慶長大判金と呼ばれる貨幣である。市価は1000万円を下らないだろう。
参考リンク:古銭買取価格表(株式会社ケネディ・スタンプ・クラブ)


大判・小判を入れておくための千両箱も展示されていた。軽々と持ち運べそうなイメージに反して非常に重い。小判は一枚あたりの重さが軽くとも10gはあり、それが千枚であるから重さは10kgを下らないことになる。ちなみに展示品は20kg強の重さがあるそうだ。


明治時代の帳簿類

▲INDEX
現在の造幣局(当時は大蔵省造幣寮と呼ばれていた)が大阪で貨幣鋳造を開始したのは明治時代の最初期にあたる1871年のことである。博物館には明治期の造幣局が用いていたと思われる勤怠表(左図)や、出来高表などの帳簿の類が展示されていた。

官吏登用の試験も毛筆で行われていたという時代柄のためなのだろう、いずれの書類も素晴らしい達筆で書かれている。


ちなみに右の画像は、当時の大蔵卿であった大熊重信氏が、造幣寮首長のトーマス・ウィリアム・キンダー(Thomas William Kinder)に向けて送った書状である。キンダーは当時のお抱え外国人のなかでも最高俸を誇っていた人物であり、その月俸は太政大臣の三条実美氏をも上回っていたそうだ。
Wikipedia記事へのリンク:大隈重信 トーマス・ウィリアム・キンダー 三条実美



造幣に用いる原料・器材

▲INDEX
東京支局博物館では貨幣の原料となる鋳塊や、縮彫に用いる縮彫機、その他、種印や研磨剤など、博物館には造幣に用いるさまざまな器材類も展示されていた。さいたま支局の博物館では工場そのものも通路から予約なしで見学が可能らしい。
※縮彫とは原版の画像を縮小して硬貨に彫り込むことをいう。右画像はその原版。

なお、9月9日のプレスリリースによれば、見学通路からの自由見学の他に、事前予約をすればガイドツアーによる工場見学も用意されているらしい。もっとも開局直後は混雑が予測されているそうなので、申し込むならば年明け以降のほうがいいかもしれない。


オリンピックのメダル

▲INDEX
東京支局博物館では、かつて日本で開催されたオリンピック3大会(東京・札幌・長野)でのメダルを展示していた。これらのメダルも日本の造幣局が鋳造したものらしい。

ちなみに左の画像は長野オリンピックのものである。漆器をイメージして作られた黒地のメダルは歴代の五輪のなかでも特に秀逸なデザインだったと筆者は思う。

なお、2020年に開催が予定されている次期東京オリンピックでのメダルも造幣局が鋳造するのかと職員さんに質問してみたが、これについてはまだ決まっていないとのことだった。


勲章

▲INDEX

東京支局博物館にはさまざまな勲章・褒章類も展示されていた。
※勲章類の撮影は禁止されていたため、画像は内閣府のホームページから引用した

左画像の大勲位菊花章頸飾は日本の勲章のなかでも最高位にあたるものであり、外国人への儀礼的叙勲や皇族への叙勲を除いた一般受章者は11名しかいない。戦後の受章者はわずか2名である。
Wikipedia記事へのリンク: 大勲位菊花章頸飾

この大勲位菊花章頸飾については、仮に売りに出されたら1億2000万円の値段がつくだろうと予測していた記事もあった。東京支局博物館の展示品のなかでは最も金銭的価値が高い品物だったと思われる。
参考記事: 「大勲位」も「勲一等」も! 勲章販売中 最高1億2000万円(FRIDAYデジタル)


最後に

▲INDEX
さすがに国と関わりの深い独立行政法人が運営しているだけあって、造幣局・東京支局博物館には興味深い品が数多く展示されていた。さいたま支局博物館は敷地面積が大幅に拡張されることになっているので、これらの展示品もさらに拡充されるかも知れない。

なんといっても入場が無料である。たとえ展示品に全く興味がもてなくても無料だと思えば決して損した気分にはならないだろう。日本の貨幣史に興味がある方、造幣事業に興味がある方、埼玉スタジアムの近くで手頃な暇つぶしの場所を探している方などは、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろうか?

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